北海道・どライブツアー・18
ゆうライブは、正直、盛況でした。
本当におかげさまです。
砂川市役所の山下さん、
地域交流センターゆうの榊原さん
はじめスタッフのみなさん、本当に
本当にありがとうございました。
生まれ故郷は、予想以上に想像以上に
温かかった!!!
偽らざる気持ちです。
本当に幸せな思いに満たされました。
Mさんともども砂川市民の温かさに触れ
ジイ~ンとする思いを
抱えつつ、砂川市の東方の旧炭鉱まち上砂川町
へと移動しようとしたとき・・・・。、
なんと、ゆう事務局長の榊原さんが自家用ランドクルーザーで
上砂川探訪とともに、第二の望郷ライブ会場ともなる
かんぽの宿「上砂川温泉パンケの湯」へと送って
いただけるとのこと!!!!
(榊原さん=左、山下さんとスリーショット)
願ってもない、うれしいオファー!!!!!
これもすごい、すごすぎる!!
私の生まれた上砂川は平ペッタイ山野地域。
三井炭鉱が幅を利かせ、当時火力発電の化石燃料
として花形であった石炭採掘の、いわゆる金城湯池
として栄えていました。
私の住んでいた炭鉱住宅は、母の聞くところによると
家賃、光熱費が無料なため、結構、経済的に負荷が
なかったということです。
しかし、昭和36~37年、産業構造の変化か、
石油の台頭か。炭鉱も斜陽となり、私が4歳のときに、
上砂川炭鉱も一部閉山。
人員整理で父は希望退職を買って出て都市部へ職を求めて一家5人、
青函連絡船にて津軽海峡を渡り、夜行列車にて本州は名古屋へと移動。
以後、私は、名古屋の地で幼・小・中・高・大学・就職
へと歩みを経ました。
大学時代に二度、上砂川には訪れています。
ですから、ここに訪れたのは、およそ30年ぶりとなります。
元あった炭鉱住宅は、すっかり撤去され、私たち家族が
住んでいたであろう跡地には林業利用か
シイタケ・キノコ栽培ハウスが林立していました。
そして、この駅から人生航路がスタートしたといえる旧・国鉄上砂川駅。
高倉健主演の映画「Staition(駅)」で、ロケ地にもなった駅です。
倉本聡のドラマのロケ地ともなり、いまは、そのドラマでの名前「悲別駅」
と冠されて、いまにいたります。
なんだか、駅の前に立つと、じわわわ~んと迫りくるものがあります。
自らのルーツを訪ねる旅。
いまや私の体の一部ともなっている
「ボサノバ」という存在があって、
今回の旅が私の中でいっそう光り輝くものに
なったと認識しています。
出発の準備段階から、私の意図を真摯にくみとり
砂川市へ珠玉のメールを送付していただいた
Mさんのいぶし銀的なマターが、大きくこの旅を
成長させたのは、言うまでもありません。
Mさんにも心からの感謝の気持ちを表します。
さて、1000回ライブ、ゆうでのライブが144回目。
パンケの湯でも、ライブが待ち構えておりました。