北海道・どライブツアー・18

Masheath

2009年10月10日 00:25

ゆうライブは、正直、盛況でした。

本当におかげさまです。

砂川市役所の山下さん、

地域交流センターゆうの榊原さん

はじめスタッフのみなさん、本当に

本当にありがとうございました。

生まれ故郷は、予想以上に想像以上に

温かかった!!!

偽らざる気持ちです。

本当に幸せな思いに満たされました。

Mさんともども砂川市民の温かさに触れ

ジイ~ンとする思いを

抱えつつ、砂川市の東方の旧炭鉱まち上砂川町

へと移動しようとしたとき・・・・。、

なんと、ゆう事務局長の榊原さんが自家用ランドクルーザーで

上砂川探訪とともに、第二の望郷ライブ会場ともなる

かんぽの宿「上砂川温泉パンケの湯」へと送って

いただけるとのこと!!!!




(榊原さん=左、山下さんとスリーショット)

願ってもない、うれしいオファー!!!!!

これもすごい、すごすぎる!!


私の生まれた上砂川は平ペッタイ山野地域。

三井炭鉱が幅を利かせ、当時火力発電の化石燃料

として花形であった石炭採掘の、いわゆる金城湯池

として栄えていました。

私の住んでいた炭鉱住宅は、母の聞くところによると

家賃、光熱費が無料なため、結構、経済的に負荷が

なかったということです。

しかし、昭和36~37年、産業構造の変化か、

石油の台頭か。炭鉱も斜陽となり、私が4歳のときに、

上砂川炭鉱も一部閉山。

人員整理で父は希望退職を買って出て都市部へ職を求めて一家5人、

青函連絡船にて津軽海峡を渡り、夜行列車にて本州は名古屋へと移動。

以後、私は、名古屋の地で幼・小・中・高・大学・就職

へと歩みを経ました。

大学時代に二度、上砂川には訪れています。

ですから、ここに訪れたのは、およそ30年ぶりとなります。

元あった炭鉱住宅は、すっかり撤去され、私たち家族が

住んでいたであろう跡地には林業利用か

シイタケ・キノコ栽培ハウスが林立していました。



そして、この駅から人生航路がスタートしたといえる旧・国鉄上砂川駅。

高倉健主演の映画「Staition(駅)」で、ロケ地にもなった駅です。

倉本聡のドラマのロケ地ともなり、いまは、そのドラマでの名前「悲別駅」

と冠されて、いまにいたります。

なんだか、駅の前に立つと、じわわわ~んと迫りくるものがあります。




自らのルーツを訪ねる旅。

いまや私の体の一部ともなっている

「ボサノバ」という存在があって、

今回の旅が私の中でいっそう光り輝くものに

なったと認識しています。

出発の準備段階から、私の意図を真摯にくみとり

砂川市へ珠玉のメールを送付していただいた

Mさんのいぶし銀的なマターが、大きくこの旅を

成長させたのは、言うまでもありません。

Mさんにも心からの感謝の気持ちを表します。

さて、1000回ライブ、ゆうでのライブが144回目。

パンケの湯でも、ライブが待ち構えておりました。